昨日の夜、寝る前に web ニュースをチェックすると、坂本龍一の訃報。「あ、亡くなったんだ」くらいで、めちゃくちゃ驚いた、というのはありませんでしたね。高橋幸宏のときは驚いたのですが。
坂本の場合は、闘病中だったことを明らかにしていて、しかも闘病生活を通じて作品を制作していましたから。
実は初めて買った CD が坂本龍一だったこともあり、けっこう長い間、20 代も後半くらいまでは思い入れの強い音楽家の 1 人だったのですが、ある時期から聴かなくなり、最近はほとんど追っていませんでした。
というのもあって、「あ、亡くなったんだ」くらいの感じだったのですが、知った当初は。
それでも今日は 1 日、考えたり考えなかったりでしたね。
いちばん偉大で、かつ、成功した作品は、やはり「enegy flow」だよな、とか。
意外と、ヒップホップにおいても興味深い作品を残しているぞ、とか。
HASYMO はけっこう好きでした、とか。
やっぱ「再稼働反対」トラックくらいから心が離れていったな、とか。
でも今思い返せば、音楽家も市民的な職業のうちの 1 つなので、ぜんぜん、社会運動に参加することはおかしくもなんともないんですけどね。「音楽家は音楽で、社会への意見を表現するべきだ」といった意見もありますが、私もかつてはそのように考えていましたが、例えば靴職人は、アンチ体制のような靴を作る必要はありませんし、いや、アンチ体制な靴は見てみたいのですが、それはそれで。
まあ、でも、派手なスニーカーとか、明らかに日常向きでないデザインなどで、靴を通じて社会に訴えかけることはできますね。
なんでしょう。
チケットのもぎりとか?
いや、チケットのもぎりで生計を立てられている時点で、社会への訴えとして成功しているのかもしれない。
何が言いたかったか、はて。
そうですね、坂本龍一が社会運動に参加していたことを、そこまでめくじら立てる必要はないのでは?
と思いますね。
と思うようになりました。
しかし坂本龍一が亡くなって、左翼的な音楽家勢が減ったのは寂しいですね。東日本大震災に端を発した原発問題や、これに関連するように SEALDs ラップとか、そういうふうに、左翼的に社会を変革していこうと訴える音楽が、最近は元気がないように思えます。坂本龍一が亡くなったことで、さらに元気がなくなるのかな、と思うと、寂しい気持ちになるのです。