朝、5 時半頃起床。
あまりだらだらしても仕方ないので、勉強 & ブログ更新。
【目次】
朝活 (?)
勉強は昨日の復習。中小企業診断士の資格試験対策、経済学・経済政策。
ブログは、開店休業状態の勉強ブログ。こちらも中小企業診断士の資格試験対策の勉強内容を記録。企業経営理論について。5 月 12 日に予約投稿。
聴いたオーディオブック
アメリカの高校生が読んでいる経済の教科書
仕事中に聴きました。
経済というか、金融の話ですね。
と思ったのですが、金融のような話はほんの出だしだけで、あとはけっこう、ちゃんとオーセンティックな経済学の話もありました。
経営学はなぜむなしいのか
職業柄、経営判断を迫られることがあり、迫られることがりというか、日々、これ判断であって、さらにはマネジメントやリーダーシップと無縁ではいられず、そうであるならそういうものについて勉強してみよう、元来、勉強は嫌いではない性分なので、してみよう、やってみようと取り組んでいくなかで、中小企業診断士という資格を知り、だったらこれの取得を目指せばいろいろ二鳥やん、一石、いろいろたくさん鳥やん! ということで、現在日々、勉強しています。
いまは経済学分野。
勉強は問題演習中心ですが、仕事中に問題集を解くわけにはいきませんので、妨げにならない範囲で、オーディオブックを聴いています。
もちろん、いまは経済学のオーディオブックを聴いているのですが、最近気づいたのは、経営学がなんとなくうすっぺらいというか、むなしい原因が、自分のなかで見えてきたというか。
要するに、経営学的に、ある経営戦略を採択する、その採択の動機としての、どのような社会を実現したいか、という視点がすっぽり抜けているというか、抜けているというか、経済学の理論を無批判に前提としてしまっている、そんな印象がありますね。
実現したい社会の在り方、これへの無頓着さが、企業経営理論とか、そういうものへ軽薄な印象を与えている気がしますね。
まだまだ勉強の途中ですので、今後、こういった感想は変化していくと思いますが。
なお、虚しいからと言ってその存在を否定すえわけではありません。
虚しいからと言って、それに価値がないと決められません。
もうしばららく経営学の勉強は続けます。中小企業診断士の資格を取得して、さらにもうしばらくまで。
ところで似たような虚しさは、生物学を勉強していた頃、特に生物統計学に感じていました。生物統計学へ感じていたのは、虚しさというより畏れ・おののきに近い不安でしたが。
要するに、なぜ、確率論的な判断がある事象の存在の担保になりうるのか、ということですね。
不思議ですよね?
けっきょく私は、そういうことを考えてしまうクセがあるようです。
バカなことを言ってないでオーディオブックの続きを聴け、と、冒険家の私による内面の声。
これが?
内面の声?
ハイデガーの言っていた?
まさか。