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上野千鶴子の結婚と、フェミニズムの思考法: 男性的視点から

結論から言うと、上野千鶴子が結婚していたとして、「口だけ学者」ということにはならないし、また、だからフェミニズムはダメなんだという話にもならないし、むしろこのこと好印象に捉えられるからこそフェミニズムだし、同じように上野千鶴子の評価が下がることはない。

というのが私の意見です。

私は地方在住アラフォー独身男性で、フェミニズム的な価値観とは真逆の人間かもしれませんが、そんな私が、「上野千鶴子が結婚していた」というネット記事にどう思ったのか、ここに述べます。結論はもう示したので、あとは補足説明ですね。

ちなみに「フェミニズム的な価値観とは真逆の人間かもしれません」と自己紹介しましたが、自認としてはそうではなく、どちらかとういうと左翼にシンパシーを持っています。根っこの部分では。

さて、「上野千鶴子は「おひとりさま」という概念を広めているのに自身は結婚していた」となると、言行に不一致が見られ信用ならない人物だ、といった評価を下したくなるでしょう。また、上野千鶴子と言えばフェミニズムに大きな影響を与えていているので、上野千鶴子が信用できないのであれば、フェミニズムも信用できない、と連想してまいがちです。


「みんな平等に貧しくなろう」と言いながら、自らはタワマン、別荘、BMW生活を送っていたことで有名な上野千鶴子大先生は、「みんなおひとりさまになろう」と言いながら、自らは結婚もしていたらしい。ようは徹底してビジネス左翼だったってわけか。

上野氏が誰を愛そうと籍を入れようと本人の自由なのだが、彼女を信じて結婚しない人生を選択した人たちにどう釈明するか、だよな注目点は。

上野千鶴子ポジショントークの塊でしかないってことは、僕は昔から言及してきたけど、まさか長年の不倫相手の正妻への当てつけで結婚制度を否定し、「おひとり様」を主張し、正妻が亡くなったらまんまと結婚してていたとは。。誰だよ、あんなんを東大の教授にしたのは (って、元旦那か)

さて、そうでしょうか? 私の意見はかなり違います。

そもそも言行の一致とか、言行が一致しているから信用できるとか、もっと言うと真理とか論理とか、そういった概念は、男性側の道具であって、私たちの住んでいるこの世界を捉える立場の一側面でしかないのではないでしょうか?

つまり、言行一致、信用、真理、論理 (など) は、男性の道具であって、これらが保証されていることが優位とは必ずしも判断できないと、そう私は思うわけです。

だから、上野千鶴子が「おひとりさま」の考えを広めてフェミニズムに影響与えて、一方で私生活は結婚もしていてタワマン住んで外車乗ってていうか私生活じゃなくて仕事でも東大の先生って!!! 男性性の権化みたいな生き方ッ! 矛盾しまくりッ! ビジネス左翼ッ! と言いたくなっても、「でもそれは、男性側の道具に基づいた価値判断でしょう? そうではない考え方だってありますよね?」と言えてしまうんですよね。

もっと言うと、そしてその男性側の道具によって抑圧されてきた存在者、こんな回りくどい言い方をしなくても、真理とか論理とか信用とか、そういった男性側の道具によって女性は抑圧されてきたのだから、男性側の道具を使っての指摘というのは、的外れになります。

私も男性なので、似たようなね、経験ありませんか? あれ、ちょっとこのコえいやん? ていうか俺に気があるのか? ん? いってええんか? てこちらからいくと、「いやいや、ついさっきまでそう言ってたじゃん! ていうかそう言うんならその行動おかしない!? ねえ!? おかしない!?!??」ていう場面に出くわしたこと。具体的には述べませんが、それで「え? おかしくない? なんで? そう言ってたよね?」と、男性が理解しようとコミュニケーションを試みると、「余裕なさそう」「キモい」で終了なんですよね。結果、俺が悪いことになるんですよ。知らんし、ですよね?

ですよね? じゃあないんですよ。

ちょっと余計なことも書きましたが、要するに「言行不一致だ! 信用できない!」というのは男性側の道具で下した判断であって、そうではない発想を持つ者に対しては全く的外れなんですね。

いやそれはもうめちゃくちゃだと。だったら何もできないじゃないかと。そう思いたくなるのも分かります。私もかつてはそう思っていました。男性側の道具を使わないことを、どうして認めることができるのか? と。

しかしですね、まあ、ずっとこの文章、ここまで憶測で書いているので、まだまだ憶測を述べますが。

多くの男性がですね、今回の上野千鶴子の例のように、「え? それめちゃくちゃじゃん! 理不尽! 信用できない!」と思いますよね? フェミニズムの人たちに対して。今日も SNS 上には罵詈雑言が飛び交ってますよね? それというのは、長らく、そして今現在も、多くの女性が男性社会に対して積もらせてきた想いだと思うんですよ。

評論家・論客ワナビーの男性が、フェミニストに対して、「言ってることがめちゃくちゃ」「筋が通ってない」みたいなことを言いますよね。でもですね、男性社会は女性に対してずっと、めちゃくちゃなことを言って、筋の通らないことをしてきたし、今もしてるんですよね。

ということはですよ、話の流れが非常に繊細になってきましたが、論客ワナビーの男性が、フェミニストの女性を論駁しているとき、男性側の主張はアプリオリに破綻しているのです。男性が女性に対して「めちゃくちゃだ」「筋が通らない」と言ったとき、男性はもう既に長い間、女性に対して「めちゃくちゃ」で「筋の通らない」ことをしてきてしまっているのですから。長い歴史のなかで。

繰り返しになりますが、女性に対して理不尽ことをしてきた男性が、男性にとって理不尽なことを言っている女性に対して、理不尽と指摘したところで、その指摘は理不尽でなのですから、どうにもこうにもアプリオリに破綻してしまっているのですね。

そうなると、男性は途方に暮れたり、憤りったりすると思うのです。ただ、これも繰り返しになりますが、フェミニズムの主張に対して男性が憤ったり、途方に暮れたりするのと同じように (というかそれ以上でしょうね)、女性は長らく、男性社会に対して途方に暮れたり憤りを積もらせてきたりしているのです。

ではそういった憤りをなくすようにすればいいのではないか? と。そういった憤りをなくすために、論理や真理、信用といった概念があるのではないか? という考えもあるでしょう。

ただ、こうも考えることもできる。そもそも憤る必要ありますか? と。独身の価値を説くフェミニストの大家が、実は結婚していて、タワマン住んで外車乗って旧帝大の先生でした、ていうことに対して、憤る点はどこにあるのでしょうか? と考えてしまってもいいわけです。

その理由はもう散々、ここまでで述べてきました。

意味分からないですよね?

私も意味分からなくなってきました。

だったらプーチンは? とか思ってしまいました。いや、プーチンプーチンで自己矛盾なくやってるわけですよ、あれはあれで考えとる。多分。

やっぱり意味分からないですよね?

意味分からない、ということは、男性側の道具に固執しているのでしょうね。

最後に。「上野千鶴子の結婚」て、ボカロ曲みたいじゃないですか?

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