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ChatGPT の登場と「自分の言葉」至上主義の崩壊

メモアプリで書いた文章を ChatGPT で 2 〜 3 通りリライトして、それぞれブログや SNSYouTube の概要欄へ使用するといったことをしています。

なぜ ChatGPT を使って、リライトするのかと言うと、それは Google 支配下においての SEO 対策と言う意味合いが大きいと言っていいですね。例えばブログに自分の意見を書き、同じ内容をSNSへ投稿しようとした場合、全く一字一句同じ文章だと、コピペだと判断され、SEO にマイナスの影響を与える懸念があります。これを回避するには、リライトするしかありません。しかしリライトは骨の折れる作業です。自分が考えて自分が書いた文章なのに、Google によるルールに従わなければならないばかりにリライトすると言うのは、正直時間の無駄ですよね。だから ChatGPT でリライト作業を効率化できるのは大助かりですね。

今でもそうですが、教育や学術の世界では、「自分の言葉で書くこと」が重視されます。何かレポートを書くにしても、参考文献丸写しはもってのほか。ただ実際には学生はそれに近いことをしているのだけど、語尾だけ「ですます調」に変えてみたり、教員が見て見ぬふりをしたりするなどして、「自分の言葉で書くこと」はほとんど建前になってしまっているのが現状ではないでしょうか。

私は学歴上、人文書は読めるし、理系であっても生物や化学も大学教養レベルであれば教科書は読めるし、もちろん分野によっては論文なんかも読みます。特に大学の教科書に多いのですが、もうほとんど丸写しだけど微妙な表現だけが違うといった、リライトと思われる文章が目立ちます (大学の教科書でこの状況なのだから、学生のレポートにいちいち目くじらを立てるのは、本当に酷だと私は思う)。あの程度の文章で、「自分の言葉で書いた」と主張するのであれば、2023年3月現在であれば 「自分の言葉で書くこと」を ChatGPT に任せておいて空いた時間で 1 つでも実験サンプルを調製した方がよっぽど生産的ですよね。
ChatGPT によって「自分の言葉で書く」という個人のオリジナリティを証明する能力の 1 つだと思われていた行為は、機械によって確率論的に組み立て可能なプログラムだということが明らかになりました。だから、「自分の言葉で書く」行為は、2023 年 3 月以降、分野によってはほとんど意味をなしません。例えば学生にレポートを書かせたところで、専門的な分野であれば参考文献には限りがあるし、紙の参考文献であっても OCR でコピペして ChatGPT へ入力すれば、「自分で書いた」と言える内容が出力されます。しかもバレようがありません。ちょうどゲノム編集のように。

将来的には「自分の言葉で書く」という面の皮を被ったリライト行為は、なくなる方向に向かうと思います。事実の記述の部分で剽窃疑いを恐れてリライトに勤しむのは、特に自分の過去の著作を参考にする場合、頭のリソースの無駄だし、リライトに ChatGPT を使えば電力の無駄です。地球に優しくありません。
もちろん、文章を書く快楽というのはあります。歌を歌い、踊りを踊るのと同じように、文章を書くのは楽しいですよね。しかし学校の創作ダンスの授業が退屈だったように、分かりきっている事実についてまで「自分の言葉で書く」という強迫観念にとらわれてうんうん唸りながらリライトするのは、2023 年現在、虚しいと言って良いでしょう。

「自分の言葉」至上主義の支配はしばらく続くだろうから、ChatGPT のリライト需要は続くでしょう。しかしそのうち虚しいことに大勢が気付くのではないでしょうか。そのとき、新時代のオリジナリティが始まると思います。

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