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日記系雑記ブログ: 農業、データサイエンス、自然

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いかに研究するか: 自然科学系の「在野」と、人文学の可能性について

今日(2020一年1月11日)、高知県が主催したIT系農業についてのウェブセミナーがあったので、参加しました。

たくさんの講演者、スライドの中でも、私にとっていちばんインパクトが大きかったのが、樹木にWi-Fi機器を取り付けている写真でした。オランダの農学の研究者のスライドに掲載されていました。

要するに、樹木にWi-Fi機器を取り付けて、もちろん、その機器にはさまざまなセンサーもつながっているんでしょうけれども、それでもってデータをどんどん蓄積していく。そしてそれを、農業に役立てていく。

かなり大胆な発想、手法ですよね。それで、自分が取り組んでいる作物に応用できないかと考えたときに、なかなか難しいだろうと思いました。というのも、ナスやピーマンのように、1つの株から、たくさんの収穫物を得られるような作物であれば、1つの株にセンサーをつけて、データを取り続けるというのは意味があるかもしれませんが、私の栽培している切り花の場合、そうはいかないのです。

と言うのを、ふと思ったのですが、つまり、ウェブセミナーを受けて、インパクトのある写真を見て、真似してみたいと思って、でもちょっと考えて「無理だな」と思ってしまったのです。

でもこういう思考って、やっぱり良くないですよね。

無理だな、と思っても、多少おカネがかかるな、と思っても、とりあえず採算度外視で、「研究だ」と思って取り組んでみることが、大事ですよね。

予算がなくて完全に模倣したり、実現するのが難しいのであれば、予算の範囲内で、できることから取り組んでいけばいいのではないですかね。

こういうふうに考えたほうが、絶対に楽しいし。

ちょっと無茶水面方でも、その無茶が、何か予想もつかなかったような成果を生む可能性だってありますよね。

こういうふうに考えると、いま自分が栽培して売っている作物にも、研究の可能性というのが大いに見えてきます。

なんだか面白そうだな、真似してみたいな、と心揺さぶられたものに出会ったときに、成果や採算度外視でとりあえずチャレンジしてみると言うのは、その結果何か予想だにしなかった成果を得られる可能性に賭けるという点で、すごく楽しいことだと思います。

さて、話はつながっているようで、つながっていない、ややそれるかも知れませんが。

理系、自然科学系の研究というのも、大なり小なりというのがありますが、最後得られたデータをどうやって処理するのかというのはある程度共通していると思いますので、そのデータの処理方法さえしっかり習得していれば、いわゆる人文系で言われるようなのような「在野」というのが可能になる、というふうに最近思ってきました。

もちろん、研究機関に属していない在野の研究者が超大型加速器を利用する、といったことは難しいと思います (そうでなかったらすみません)。ただ、大規模な加速器を利用するといったようなことは、おそらく、人文学だと、フッサリアーナの編纂に関わるくらいの難度ではないでしょうか (違ったらすみません)。

在野の研究者が大規模な加速器を使うのは難しいかもしれませんが、目に見える自然界の現象を目で見て数えて、それを解析するというのは、統計学の知識さえあれば、できることだと思います。データが大規模になれば、高性能なコンピュータが必要になりますが。ただ、その地域に固有の生物種の生態といったようなケースでは、そもそも得られるデータが少ないため、高性能なコンピュータは必要ないでしょう。

地域の固有種の生態を明らかにするといったような場合、つまり、そもそも得られるデータが少ない場合、高性能なコンピュータが必要でない代わりに、気をつけなければいけないのは、少ないデータからいかに、科学的な結果を導き出すかです。

もちろん、科学的な結果を得られなかったという結果を提出するのも大切です。

こういった、ポジティブであれネガティブであれ何らかの結果を出すには、統計学的な手法が必要だと思います。

統計的な手法をしっかり習得していれば、設備投資できる予算によっては難しい分野はありますが、理系・自然科学でも充分、在野研究は可能だと私は思います。

そして、データを統計的に解析してさらに、解析結果をいかに解釈するかというのは、そこは、「発想」の問題であって、そして、思い通りな解析結果を得られなかった場合に、その対策を立てると言うのも、「発想」の問題だと思います。そこに、人文的な知見が役に立つ場面が現れるわけですね。プログラミングでは、人文学の用語であるオントロギーと言う述語が使われています。さらに、人工知能における課題解説ではしばしば、イギリス経験論の哲学者の名前が出てきます。

話が色々と散らかってしまいましたが、人文学の知識は決して「役に立たない」ものではないし、自然科学は在野研究できるし、採算度外視でも研究したら何か楽しい結果を得られる可能性があるのではないか、という話でした。

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