6 時半起床、7 時から仕事。
ここ数日、早起きができていません。何とかしないと。
夕方からまた雨。ランニングはまたできず。しかし 9 月はもう月間 100 km 達成できているからセーフ。
帰宅後はライブに向けて音源編集。
ニュース視聴は依存症
勝間和代さんの YouTube 動画、「なぜニュースダイエットは人生を好転させるのか。それはニュースが依存症の一種だからです」を視聴して、ものすごく感銘を受けたので内容を紹介します。
以下、動画の要旨。
ニュースばかり見ていても人生は充実しない。
ニュースを通じて私たちは、他人の不幸を見ることによって、自分の幸福を確かめることができる。
どこで戦争が起きている、どこで事件が起きた、どこで子どもが犠牲になったなどなど、現時点の自分より不幸な出来事について、ニュースを通じて認識することで、相対的に自分の幸福を感じることができる。
つまりニュースを見ると幸せを感じることができる。だから私たちはついついニュースを見てしまう。
しかしニュースにばかり気を取られていると、自分自身に関心が向かない。その結果、自分自身が今よりも幸せになることに時間を割くことができるなくなる。
ニュースにばかり気を取られて、他人の不幸にばかり注目してしまうと、自分自身の成長のための勉強だったりスキルアップだったりするための時間がなくなってしまう。
既に何度も理屈を述べたように、ニュースは手軽に幸せになれるツールで、だから依存性が高い。自分がしなければいけいないことに関心が向かず、ニュースばかり見ている人は、ニュース依存症だ。
ニュースは酒やタバコと同じで、依存性が高く、摂取する必要はない。
ニュース断ちをすることで、私たちの人生は充実する。
半分賛成で半分反対というか、完全に見なくても確かに生きていけるとは思いますが、ニュースを見て、その時代、自分が何をしていて、そのときに何が社会で起こっていたかを記録していると、後々振り返ることができるじゃないですか。
その振り返りから何かを得ることもできると思うんですよね。
今年は 2 年続いたコロナ禍がそろそろ収まりそうだ、というタイミングでロシアによる軍事侵攻が始ったせいで、エネルギー危機が高まり、景気回復の出端がくじかれた。さらに米国の利上げと、日本の金融緩和が原因で、円高が進んだ。結果、欧米ほどではないにしろ、日本でも物価高が始まっている。
コロナ禍が終われば景気がグッと回復する、という、コロナ発生当初の期待は、見事に打ち砕かれたわけです(農産物は、品目によっては値上がりしていますが)。
そしてもう、誰もワリエワ選手が北京オリンピックでドーピング疑惑をかけられたことを覚えていません。
そうした中、私は何を考え、どう行動していたのか。今年。今年前半は AI アプリのリリースに向けて開発に取り組み、一定の成果を得ました (AppStore からリリースしています)。
サブスクから楽曲の配信もしています。
また、だらだらと大学院に残っていても、こちらは成果が出ないので、損切りというかたちで見切りを付けました。
レジャーとしては FUJI ROCK FES 22 に行ってきました。
8 月からは中小企業診断士の勉強を始めました。
10 月にはライブをする予定です。
なんや、世界情勢とお前の生活、関係ないやないか、と思われるかもしれませんが、...、そう...、ですね、ここまでだとあまり関係ないですね...、あれ、なんかおかしいぞ... 求めていた結論と違う...